Independent curator
出典:VOID Chicken Nuggets 2014年11月23日号
Frieze Art Fair 2014
(ロンドン遠吠え通信 Vol.5)
ロンドン留学中の筆者がキュレーションにおける文化的差異について考えてみている連載です。今回は、先月フリーズに出展されたユナイテッド・ブラザーズの作品について書きたいと思います。<このスープ、アンビバレントな味がする?>と題されたこのパフォーマンスは、ユナイテッド・ブラザーズ(荒川医・智雄)によるもので、彼らのお母さんが福島で採れた野菜を使ってスープを作り、来場者にふるまうというもの。
最初に断っておかなければならないのは、私はフリーズには行ったものの結局時間を外してしまって体験してないんですね。ちょうどものすごく忙しかった時期で、正直「見れたらでいいかな」程度だったもので・・・(ダメっ子丸出し)。しかしそんな私が後になってなぜこの作品について書かなければと思ったかと言えば、作品に対する日本のツイッターでの反応に、話題にしておきたい内外差を感じたからです。
できるだけ簡単に経緯をまとめます。
まずインディペンデント紙ほかいくつかの報道が「放射能が入っている」スープ、と読めるようにこの作品を紹介し、日本の何人かがその報道をそのまま受け取りました。そこから、反応1、危険だと言う風評を助長するのでやめてほしい。反応2、人目を引けばアートとして成功だと思っているなんて、人間として許せない。もしこれがアートとして成立するなら、アート(という土台)はそもそも意味がない――といった反応が出て来て、そこから「それはひどい」の連鎖が始まったようでした。
実際には、作家達は食品を独自にいわき放射能市民測定室で日本の基準に照らして検査してもらい、「安全という前提」でスープを提供しています。日本の政府や自治体や民間団体も推進している、この「ある一定の基準に従って食品を検査し、安全なら問題がないですよね?食べましょう!」というキャンペーンと、この作品は同じ構造を持っています。だから「食べて応援」する人たちがこのことを理解したならば、「いいでしょう、食べてもらいましょう」となったはずです。そして、食べたくないという人がいたら、「それもありでしょう」となったはずです。基準が元々おかしいと思っている人、日本政府に不信感を抱いている人も、心の中の思いはどうあれ結果は同じ、「飲むも飲まないも、あなたの判断です」となったはずです。
「安全ですのでよかったらどうぞ。でも最後は、あなたが選択してください」。現在の、複雑な安全基準や混沌とした情報の海の中で、私たちは常に自分自身の選択を迫られているわけで、この作品はそのリアルな選択のモーメントを鋭く取り出して見せた作品でした。特に「福島」という、ニュースの中で見られるその場所で起こっていることを、つまり日本の人たちが毎日迫られている選択を、ロンドンで、手の中のスープに突きつけられるというのは、メディアの中で経験される遠いどこかの土地と、ここに生きる人々の日常をダイレクトにつないだということでした。いい作品だと思います。鋭いし、体感できるし、メディアとか環境とかリテラシーとか、現代を生きる私たちのいろんな問題、関心事と接続しているからです。
でも、話したいのは反応2です。ここまでの話は「誤解があったよね」ということなのですが、誤解が解けてあースッキリ、とならないのではないか。というのも、今回の出来事はアートの内と外をきれいに浮き上がらせて見せていると思ったのです。
反応の中には「そんなのアートでも何でもない」とか「アートのレベルに達していない」という断定口調が目立ちました。何をもってアートとするかは歴史の中で多くの人たちが考え、実践し続けてきた哲学的な問いで、今もその真摯な挑戦は終わっていません。それをもう知っているかのように「アートではない」と断定するとは・・・。最初は呆れた気持ちもあったのですが、だんだん、これは根深い話なのではないかと思い始めました。
みなさんも、明治時代に日本が国策として西洋の思想や技術や知識を輸入したことはご存知かと思います。小森陽一がその過程を「自己植民地化」と言っていますが、つまりまったく異なる土地のコンテクスト、考え方を持ってくる作業なわけで、かなり無理をやったと思います・・・特に「美術」と呼ばれるものにおいては。私は学校美術教育史を研究していたことがあるのですが、学校の美術系科目はある意味西洋美術という彼岸の価値を民衆レベルで消化する生々しい現場だったので、明治時代から毛筆画の見直し、臨画主義(お手本を見て描くこと)の見直しなど、大きな改革が行われ、その都度激しい論争が起きています。結局昔の「無理」は今も祟っていて、例えば1990年代まで漫画っぽい絵は学校ではNGでした。これは簡単に言えば、西洋美術をよしとする価値基準に乗らなかったからです。家ではみんな描いていましたけどね。こういう、精神的「植民地主義」のただ中にあって、あるいは「ポストコロニアル」な状況の中にあって、「彼岸の価値」だった「美術」の外側に多くの人がいることは、まったく不思議ではないのです。
あのスープのパフォーマンスが、ロンドンというコンテンポラリー・アートの前線の一つでものすごくよく機能していたとしても、「美術」の外にいる人たちにとってはその良さは分からない。フリーズは基本的にはお金持ちの集まる「展示即売会」で、その「場」があのパフォーマンスを機能させる重要な鍵でもあったのですが、そんな文脈を知る由もない(実際、フリーズを「アートフェス」「芸術祭」としているツイートも多かった)。今、「これはアートではない」は、「こんなアートは理解できない」という叫びのように聞こえてきます。アートの題材として「福島」を割り切ることができない。それが「美術」の内側で消費されるなどということは。全世界的なポストコロニアルの諸問題と同じ、簡単に片付けることのできない痙れ(ひきつれ)を、私たちは目にしたのだと思います。
「ロンドンではいい作品として受け止められていたよ」と言うだけの、「仲介人/通訳者」に落ち着かないために、いまもなおくすぶるこの対立は、美術関係者として念頭においておきたいところです。一方、ポストコロニアル理論が明らかにした通り、内と外は二項対立的に分かれているわけではありません。その複雑な状況から過去の文脈をかすかにたぐり寄せ、今起こっていることを可能な限り読み込み、異なる人々の間の対話を促して未来を作っていくことが、これからのキュレーションにますます求められるのではないかと思います。
金澤韻