Independent curator
2015年3月7日〜5月10日
京都、日本
パラソフィアが酷評されているとか盛り上がっていないとか聞いていたので心配しながら見に行ったら、ひどいどころかかなりよかった。会期終了までの間に少しでも多くの方に見てもらいたくてこれを書いている。
もし海外の友人知人たちに一つだけ日本の国際展を薦めるとしたら、これからは「パラソフィア」にすると思う。浅田彰氏の言[1]をまつまでもなく、ツーリズムの面でベニスに対抗できるのは間違いなく京都しかない。8世紀末から千年に渡って国の中心であった京都と、7世紀末ごろから一時世界の中心の一つとしてやはり千年の歴史がある中世の都ベニスとの対比は面白い。ベニス・ビエンナーレを「一日で見られない」と文句を言う人はいないだろう。美しい町並みの中を徒歩であるいは水上バスでゆっくり移動しながら見て回る展覧会は最高だからだ。京都も同じポテンシャルを持っている。いつ来ても、長い時間をかけて育まれた文化と自然の融合した景観に癒されるし、折しも私が訪れた4月上旬は桜がそこかしこで満開だった。
スーザン・フィリップスを見に(聞きに)行った鴨川デルタもお花見をする人々で賑わっていた。彼女の<三つの歌>(2015)は歌舞伎の原点とされている出雲阿国らの四条河原での上演にちなみ、その同時代である17世紀のイングランドの歌が流れるものだった。水辺で遊ぶ人々の歓声にまじってその古いメロディーが微かに聞こえてきた時には、岸辺に花が咲き、鳥が飛び立ち、後方からくる二つの川の水が目の前で出会い前方へと流れていくこの光景がきっと同じであった、その四百年前にいるような気分になった。
時間の流れあるいは歴史が読み込まれること、それは京都の磁力なのだと思う。例えば、17世紀にタイとの交易で活躍した山田長政の伝記と、作家の祖母の話が蛍を捉えた幻想的な映像を背景に語られ、歴史と身近な個人史が並置されるアリン・ルンジャーン<骨、本、光、蛍>(2015)や、植物学者リンネ及び大航海時代、帝国主義時代における探検家のパトロンたちの世界観を地図とドローイング、説明によって描き出すアナ・トーフ<ファミリー・プロット>(2009-2010)などが、京都という時間的コンテクストに強く共鳴していたことは特筆すべきだろう。後者は昨年ブリュッセルのWIELSで見たが、その時に感じた科学的調査のような趣は京都の展示からは退き、代わりに私的な世界探検(征服)の欲望とそれにまつわる政治性が前に出てきていた。
他にも、竹製の15メートルの塔とユーモラスなロボット、子供達の創作物が組み合わさった巨大なインスタレーション、ツァイ・グオチャン<京都ダ・ヴィンチ>(2015)、崇仁地区と京都市美で、その場所にあったもの、置き忘れられたものを使い現場へ介入するインスタレーションを制作したヘフナー/ザックス、世界中で崇拝の対象となっている場所を訪れる人々の振る舞いを映し出したハルーン・ファロッキ<トランスミッション>(2007)、人々の暮らしの中にある植物との関係を調査したシュー・タン<社会植物学――種と血筋>(2012-2015)、自己啓発セミナーや宗教イベントの様子が無音で映し出されるマルチチャンネル映像インスタレーション、アーノウト・ミック<異言>(2013)などなど、見応えのある作品の数々が、京都のコンテクストによって増幅するのを見るのは小気味よかった。またシュー・タンが京都市美の螺旋階段を効果的に使うなど、多くの場合場所性をうまく読み込んだ展示となっていて、概ね目で見て楽しむことができたのも幸せなことだった。
しかし強調すべきは、日本の近現代史に関連づけられる作品群が、この時間軸の磁力の中でより重厚な意味合いを持った点だ。冒頭でベニスを引き合いに出したが、もう一つの国際展の雄、ドクメンタとの共通の土台があることを、メイン会場に設定された京都市美術館の前に立った瞬間に意識することになった。過去のナチス・ドイツの行いに対する反省を現代美術の立場から検証するものとして始まったドクメンタは、毎回歴史、政治、社会と人間に関わる鋭いテーマを設定し、現在最も重要視される国際展となっている。第二次世界大戦でドイツと同じ枢軸国側にあり、今もなお戦争後の国際的な緊張――中国や韓国と国境問題が悪化し、またアメリカとの関係性の中で制定された憲法や安保体制の見直しが議論され、沖縄の基地問題が激しさを増しているといった状況――のただ中にあるこの国も、言うまでもなくドイツと対比されるべき歴史的コンテクストの上にある。そして京都市美術館は帝国主義、第二次世界大戦と敗戦後のアメリカによる占領というこの国の国際関係を象徴する建造物であった。京都市美の地下で行われていた3つのスライドショー<美術館の誕生>では、京都市美の建物建設の経緯、アメリカ軍による接収から京都市美術館として再出発するまで、そして京都市美で行われた現代美術展の様子が描写された。一つの建築物の上に、様々な力が交錯していた。帝冠様式建築として建設された経緯からは、政策としての西洋文化の輸入と、揺れ戻しとしての国粋主義と折衷案の登場が見て取れる。そしてアメリカ軍が展示室に設置していたバスケットゴールの写真は、それまでの文化的な葛藤のすべてを無に帰するかのような惨さを感じさせた。現代美術展の歴史も興味深い。戦後美術史をかじったことのある者なら誰でも見聞きしたことがある、京都アンデパンダン展や、「人間と物質」展、あるいはPlay、Japan Kobe Zeroが参加した「京都ビエンナーレ・集団による美術」展などが次々に映し出されていた。
いくつかの作品がこのコンテクストに応答していた。例えば、第二次世界大戦中に製造された陶製手榴弾を模した笠原恵実子<K1001K>(2015)は、有田や信楽といった有名窯元が戦争に加担することになった71年前の出来事を改めて明るみに出す。暮らしの道具を作る技術が戦争、暴力のそれに変わる、そういう時を私たちが経験していることを思い出させる。京都市美の展示の始まりに置かれたジャン・リュック・ヴィルムート<カフェ・リトル・ボーイ>(2002/2015)は原爆投下後に掲示板として使われた小学校の外壁を模した作品で、来場者が壁面や机、椅子にメッセージを書き込むのだが、そのメッセージは折り重なり、次第にすべてが判読不能になっていく。メッセージ、あるいは歴史、過去の記憶を語り伝えていくことの困難さを見せつける、痛烈な皮肉と同時に、人間の変わらない本性を見つめることも、また今を生きる私たちに科せられている。
田中功起<一時的なスタディ:ワークショップ#1「1946年〜52年占領期と1970年人間と物質」>(2015)は最もストレートに今この場所ですべきことに取り組んだ作品だった。田中はこの展示に先立って、高校生と二日間のワークショップを行っている。参加者が高校生なのは旧日本軍における徴兵制が19歳だったことによると展示室に掲げられたテキストが言う。このワークショップ/パフォーマンスの映像を含んだインスタレーションは、地下の<美術館の誕生>が変奏で再現されたものだった。美術館の机や椅子、パーテーションが不自然な形で設置され、またバスケットゴールが持ち込まれていた。映像の中では、「人間と物質」展コミッショナーであった中原佑介の、同展についてのテキストが、キーワードが読み分けられ強調された形で高校生たちによって朗読された。もう一つの映像では、同展でのクリストの展示を再現するように、美術館の床に大きな布をかぶせる作業が映し出された。リアルタイムで見ていない私や多くの観客にとって「人間と物質」展は歴史として存在するものだ。その展示の一部を今を生きる高校生が再現する。こうやって、作家は記録には残っていても過去のこととしてスルーされていく物事を、現在の身体をもってなんとかなぞろうとしている。それは、「歴史に学ぶ」という標語を口にしつつも、いつも同じように愚行を繰り返す人間というものに対して、どうにか当事者性を喚起しようとする実直な闘いだった。歴史を語り継ぐのは不可能だということを、私たちはどこかで理解すべきなのだと思う。その上で人間にできることはどういうことなのかをこの作品は問いかける。
今回の第一回展がすべての面において成功していたとは言わない。例えば、ディレクターの河本信治氏はテーマを掲げなかった。作家/作品ラインナップを前にして鑑賞者が自分で読み解いてほしいというのが河本氏の意図だそうだが[2]、これは、「作品をどれだけ言葉に置き換えて伝えるか」というインタープリテーションの問題とテーマの意義を混同していると思う。テーマを掲げないことによって、このイベント自体のミッションを外部の人間は見出すことができない。つまり「やることになったのでやっています」という印象を醸し出してしまっている。実際には、港千尋氏が指摘するとおり[3]タイトルの「パラソフィア」がこの芸術祭の依って立つもの(ソフィア、つまり哲学の、傍らに在るもの)を示していると思う。実際、現代美術は、特にグローバリゼーションが顕著になった90年代以降のそれは、世界的に思考と対話のプラットフォームとして立ち現れてきている。これを素直にテーマと言ってしまってよかったのではないだろうか。またメイン会場である京都市美の二階は複数の論者が指摘するとおり[4]ベストな構成ではなかった。せっかくの空間が映像を投影する暗闇に広範囲に渡って閉ざされたのは残念でならない[5]。広報も先に述べたミッションの不在のため、やりきれていないと思う。
ともあれ、このイベントの大きな意義をもう一つ、最後に挙げておきたい。民間主導で立ち上がっているという点だ。財源は企業協賛と公的資金がミックスされている。地方の役所主導で財源も税金主体だと、市民に還元するのが主眼になるため、「市民に喜んでもらう企画」が命題になる。誤解のないように言っておくが、市民を無視して「専門家」が好きにやればよいと言っているわけではない。問題は役所が市民の知性や文化度の高さをしばしば見くびることだ――この話は長くなるのでここまでにするけれど、ともかくパラソフィアはそんな低レベルの議論は最初からすっとばしていて、運営サイドはディレクターの河本氏にいっさい注文をつけなかったと言う[6]。これは誇ってよいと思う。展覧会づくりは創造活動の一つで、キュレトリアルサイドの主体性が守られなければ面白いものなどできるはずがない。京都はそれをよく知っていた。よい場所で、よい体制で、真っ当な問題意識で、そして概ね充実した内容で始まったこの国際展が、この公平性を保ちつつ50年、100年と継続していくことを私は願っている。
金澤 韻
2015年4月15日、ロンドンにて
[1]浅田彰「パラパラソフィア——京都国際現代芸術祭2015の傍らで」、http://realkyoto.jp/review/parasophia2015/
[2] ゲーテ・インスティトゥート・ヴィラ鴨川でのトークイベント「PARASOPHIAクロスレビュー」(2015年3月28日)における小崎哲哉氏の発言による
[3] 同じイベントにおける港千尋氏の発言による
[4] 福永信「パスポートを取り上げろ!パラソフィア・レビュー補遺」、http://realkyoto.jp/blog/parasophia_2_fukunaga/
[5] ただし福永信氏が指摘するように映像が多いこと自体は問題ではないと私は思う。(http://realkyoto.jp/review/parasophia_1_fukunaga/)現代美術展に展示される映像作品はほとんどが部分を見れば全体が理解できるものとして展示される。そしてそうでない作品は上映会という場が設定される。また一方で、極端に言えば、絵画作品なども一点に数時間かけて鑑賞するべき場合があると思う。個々の作品にどれだけ時間を割くかは鑑賞者それぞれに任されている。
[6]「お上がやるのは、京都ではない」PARASOPHIA: 京都国際現代芸術祭 組織委員会会長長谷幹雄氏インタビュー、http://synodos.jp/culture/13599